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東京地方裁判所 平成2年(ワ)10175号 判決 1992年1月31日

原告

鮫島一枝

秋津由子

鮫島丈二郎

鮫島大三郎

岡洋子

鮫島圭子

右原告ら訴訟代理人弁護士

堀岩夫

被告

インペリアル株式会社

右代表者代表取締役

小野関不二夫

右訴訟代理人弁護士

乾俊彦

同訴訟復代理人弁護士

田中俊夫

主文

一  被告は、原告鮫島一枝に対し金一八〇〇万円、原告秋津由子、同鮫島丈二郎、同鮫島大三郎、同岡洋子及び同鮫島圭子に対し各三六〇万円並びに右各金員に対する平成二年八月二三日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の二次的請求並びに主位的及び三次的請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの、その一を被告の各負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

(主位的請求)

被告は、原告鮫島一枝に対し金五〇〇〇万円、原告秋津由子、同鮫島丈二郎、同鮫島大三郎、同岡洋子及び同鮫島圭子に対し各一〇〇〇万円並びに右各金員に対する平成二年八月二三日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。

(二次的、三次的請求)

被告は、原告鮫島一枝に対し金二二五〇万円、原告秋津由子、同鮫島丈二郎、同鮫島大三郎、同岡洋子及び同鮫島圭子に対し各四五〇万円並びに右各金員に対する平成二年八月二三日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

亡鮫島龍藏(亡鮫島)は、昭和三三年以来、小野関不二夫が代表取締役となって設立した被告と協力し、昭和五二年五月埼玉県児玉郡児玉町及び美里村にまたがる生野山周辺にゴルフ場(本件ゴルフ場)をオープンした。そして、亡鮫島と被告は、本件ゴルフ場から撤退する代償として、九億円を取得した。本件は、亡鮫島が以上のように主張し、主位的に、昭和三三年被告、亡鮫島間に、ゴルフ場建設を共同事業の目的とする組合契約(本件組合契約)が成立し、その結果完成させたゴルフ場の経営から手を引く代償として九億円を取得したことにより、右組合契約が終了したとして、右九億円の五分の一に相当する組合の残余財産清算金一億円の支払を、二次的に、右共同事業を始めるに当たり、被告が右共同事業につき亡鮫島に協力を求めた委任又は準委任契約において約束した報酬四五〇〇万円(額が提示されたのは平成元年九月二八日)の支払を、三次的に、被告が平成元年九月二八日書面で四五〇〇万円の贈与の約束をしたとして、その金員の支払を、それぞれ請求する事案である。

一(争いのない事実)

小野関不二夫は、昭和三三年初めころ、本件ゴルフ場の建設を計画し、右昭和三三年一二月同人が代表取締役となって被告会社(商号は、最初は児玉観光開発株式会社、次いでインペリアル観光株式会社と変更し、さらにインペリアル株式会社に吸収合併され、今日に至っている。)を設立した。被告は、本件ゴルフ場建設予定地の所有者等(地元の地権者)から用地の買収を開始したが、被告設立一年後から野村証券株式会社等が同一地区にゴルフ場を建設する目的で児玉ゴルフ場株式会社(児玉ゴルフ場)を設立し、用地の買収を開始したため、被告と右児玉ゴルフ場との間に紛争が続くこととなった。そこで、被告と野村証券側は話合いをし、昭和三九年八月二〇日、被告と児玉ゴルフ場とで、児玉地区にゴルフ場を建設、運営することを目的とする共同事業を行う旨の協議書(本件協議書)を作成した上、児玉ゴルフ場が商号を変更した埼玉開発株式会社(埼玉開発)を通して、右共同事業を行うこととした。そして、被告は、既に買収した五万八九〇〇坪の用地(これに対して児玉ゴルフ場側が買収した用地は、二六万一四七九坪であった。)を埼玉開発に名義変更し、その対価として埼玉開発から一億四〇〇万円を受け取った。そして、埼玉開発の資本金は三〇〇〇万円とし、埼玉開発は二五〇〇万円を、被告は五〇〇万円をそれぞれ出資し、持株比率は、埼玉開発五、被告一の割合を維持することとした。ゴルフ場の建設を進めた結果、昭和五二年五月、埼玉開発は、本件ゴルフ場をオープンするに至った。しかし、その後、埼玉開発は、増資をし、右増資分を野村証券側が取得し、被告は、右ゴルフ場の経営から事実上締め出された。そこで、被告は、昭和五二年から野村不動産株式会社、野村証券及び埼玉開発(野村グループ)を相手取り、訴訟(野村グループを相手とする訴訟)を数回提起し、最終的に東京高裁の平成元年一〇月三日の和解期日をおいて、被告が本件ゴルフ場から撤退する代償として野村証券側のグループから九億円の和解金(本件和解金)を受領した。亡鮫島は、ゴルフ用品の製造、販売業を営んでいたが、昭和三三年ころ被告代表者小野関と知り合った後、亡鮫島は、名門ゴルフクラブの会員で、プレーヤーとしてもゴルフに詳しかったことから、①右小野関のゴルフ関係の相談に乗り、②被告がゴルフ用地を買収するに先立ち地元の地権者にゴルフ場建設について理解を得る目的で、地元の地権者にゴルフの意義についての説明会を開いたが、亡鮫島は、被告の依頼を受け、その説明をし、③小野関と共に、野村グループに対抗する意味で、被告側の役員として埼玉開発の監査役又は取締役に就任し、④野村グループを相手とする訴訟で証人として証言をし、被告の訴訟代理人南博之弁護士に着手金の一部五〇万円を支払った。その間、昭和五〇年六月、野村不動産から派遣されていた埼玉開発の専務取締役から亡鮫島に一〇〇〇万円が「御札」名義で支払われた。

なお、亡鮫島は、本件訴訟中の平成三年八月一六日死亡し、妻の原告鮫島一枝、子の原告秋津由子、同鮫島丈二郎、同鮫島大三郎、同岡洋子及び同鮫島圭子が同人を相続した。

二(争点)

1  亡鮫島の労務の提供の内容

2  亡鮫島、被告間の組合契約の成否及び残余財産の分配額

3  亡鮫島、被告間の委任又は準委任契約並びに報酬契約の成否及びその額

4  被告の亡鮫島への書面による贈与契約の成否

第三(争点に対する判断)

一(被告から亡鮫島に対する協力依頼)

被告代表者小野関は、昭和三三年ころ、磯子カントリークラブのゴルフ場を造成した横浜の建設会社の千代田組から亡鮫島を「ゴルフ歴が長く、ゴルフ及びゴルフクラブの運営の知識もあるので、いろいろ相談するとよい。」と紹介されて、亡鮫島に「ゴルフ場を作りたいので教えてもらいたい。」旨の依頼をするに至った(<書証番号略>、証人鮫島一枝、被告代表者)。

二(亡鮫島の労務提供)

1  (現地視察)

昭和三三年八月小野関が買収を予定しているゴルフ場用地を見に行き、ゴルフ場用地としての適否等について助言をした(<書証番号略>)。

2  (ゴルフについての現地の地権者に対する説明)

被告は、昭和三三年暮からゴルフ用地の買収を開始したが、昭和三四年初夏地元の地権者にゴルフ場建設の理解を得る目的で、地元でゴルフに関する説明会を開いた際、被告から依頼された亡鮫島は、その説明をした(前記争いのない事実、<書証番号略>、被告代表者)。

3  (ゴルフ場コースの造成工事の指示、助言)

本件ゴルフ場のコースの造成工事は、設計は関西のゴルフ場設計家の上田治が、工事は大林組がそれぞれ担当し、その工事期間は、二年前後を要したが、上田が健康が優れず、現場を十分見ることができなかったこともあり、亡鮫島は、その二年前後の間、ゴルフ場コースの造成工事の細部(例えば、バンカーの位置、高低、グリーンの芝の植え方等)について業者から報告があると、それに対して指示、助言した(前記争いのない事実、<書証番号略>、被告代表者)。

4  (埼玉開発株式会社の取締役に就任等)

亡鮫島は、被告が野村グループと共同して埼玉開発を作った際、被告側からの役員として、小野関と共に、野村グループに対抗する意味で埼玉開発の監査役又は取締役に就任した。また、野村グループが、途中から被告に無断で工事を進めたので、被告との共同事業に戻すために、昭和四八年に、ゴルフ場の重要事項を協議する等、埼玉開発の運営を野村グループと被告と双方で話し合う場として専門家も加えて設置された運営協議会に、亡鮫島は、被告側のメンバーとして小野関と共に加わり、二人が昭和五一年八月埼玉開発の取締役を解任されるころまで五〇回近く開催された右運営協議会にほとんど出席した。その間、小野関は事業全般、亡鮫島は主としてゴルフ場のコース設計、管理に関して意見を述べる役割を果していた(<書証番号略>、前記争いのない事実、被告代表者)。

5  (亡鮫島に対する役員報酬の支払)

亡鮫島は、特に報酬をもらうこともなく、半ば家業のゴルフ用品の製造、販売業を妻に任せ、前記1ないし4のように被告の事業に協力していたが、昭和五〇年六月ころ危篤状態になった際、野村グループから出ている埼玉開発の専務が、被告と相談の上、埼玉開発の役員報酬として取り敢えず一〇〇〇万円を亡鮫島の下に「御札」名義で届けた。しかし、その後、右専務が右報酬金について、埼玉開発部内の了解を得ようとしたところ、その金額が高すぎるという理由で了解が得られず、最終的にはその金額は被告の負担となった(<書証番号略>、証人鮫島一枝、被告代表者)。その他に、被告側から亡鮫島に対し昭和五一年七月から六三年一二月末の間に交通費として、合計一五二万余円が支払われている(<書証番号略>、被告代表者)。

6  (野村証券グループを相手とする訴訟の被告に対する協力)

埼玉開発は、野村グループの意向で、昭和五一年八月の株主総会で株主からプレイ権を奪う等の定款変更を決議したので、被告は、昭和五一年一一月に右総会決議取消の訴えを東京地裁に起こしたところ、昭和五二年一月の埼玉開発の株主総会で小野関と亡鮫島は埼玉開発の取締役を解任された。そこで、被告及び小野関は、昭和五三年被告が埼玉開発に譲渡したゴルフ場用地の返還(所有権移転登記の抹消登記)請求及び取締役解任による慰謝料請求を東京地裁に起こした。結局、この二つの訴訟は、一、二審とも本件被告の敗訴に終わった。そこで、被告は、野村グループを相手取り、被告グループと野村グループが共同事業の実体をなし崩し的になくしていったことを理由に、四一億円の損害賠償の訴訟を東京地裁に起こした。被告は、前同様、一審で敗訴判決を受けたが、平成元年一〇月三日、控訴審で和解をし、被告は、損害賠償金という名目ではなく、埼玉開発の株式を野村不動産等に売却し、その売却代金として九億円の支払を受けた。亡鮫島は、いずれの訴訟でも、当事者に加わっていないし、訴訟費用も負担していなかったが、被告が前記の所有権移転登記の抹消登記請求訴訟について控訴した段階で、被告に対し、「弁護士を代えた方がいいのではないか。」と助言し、昭和五八年終わりころ亡鮫島の妻の知り合いである南博之弁護士を紹介し、その結果、昭和五九年一月、被告はその訴訟代理人を南弁護士に代えた。しかし、この訴訟も、前記のとおり、二審で敗訴したが、被告は、南弁護士を訴訟代理人として、野村グループを相手取り、四一億円の損害賠償の訴訟を東京地裁に起こした。また、亡鮫島は、右の一連の訴訟において、期日前の事前の打合せに参加し、前記争いのない事実の④のとおり、右訴訟で証人として証言をし、被告の訴訟代理人南博之弁護士に着手金の一部五〇万円を支払った(<書証番号略>、証人鮫島一枝、被告代表者)。

三(本件組合契約の成否)

組合契約が有効に成立する要件の一つに、「当事者全員の共同事業として営むこと」が掲げられているが、亡鮫島もゴルフ場の建設という被告と共通の目的をもっていたとしても、前記一で認定の被告から亡鮫島に対する協力依頼の経緯及び二で認定の亡鮫島の労務提供内容に照らすと、本件ゴルフ場の建設を事業として営み、遂行していたのは、被告であり、亡鮫島は、後記の四の1のとおり、自己の長年のゴルフの知識、経験を生かして、被告に主としてゴルフ場のコースの設計、管理等に関し指導、助言をするという限定した労務の提供をしていたにとどまり、亡鮫島が右ゴルフ場の建設を事業として遂行していたとはいえない。したがって、前記「当事者全員の共同事業として営むこと」という要件に欠け、亡鮫島が組合員として労務の提供をしていたとは認められない。加えて、組合理論なるものが、被告と亡鮫島との間で、持ち出されたのは、南弁護士が前記の所有権移転登記の抹消登記請求訴訟の控訴審で、昭和五九年二月に初めて主張し始めたもので、昭和六一年五月二八日敗訴判決を受け、結局その主張も認められなかったものである(<書証番号略>)。その後、南弁護士が右判決理由を精査し、被告グループと野村グループとの共同事業を、野村グループが共同事業の実体をなし崩し的になくしていったことを理由に前記二の6の損害賠償請求の訴えを起こしたが、この主張も判決で認められたわけではなく、控訴審で成立した和解で和解金を得るのに何がしかの役に立ったに過ぎない(<書証番号略>)。

したがって、組合契約の成立を前提として組合の残余財産の清算金を求める訴えは、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

四(亡鮫島、被告間の委任又は準委任契約並びに報酬契約の成否及びその額)

1 先ず、前記一及び二の認定事実から、亡鮫島、被告間で被告がゴルフ場建設を遂行するに当たり、亡鮫島が長年のゴルフの知識、経験を生かして、被告に主としてゴルフ場のコースの設計、管理等に関し指導、助言をするという法律行為以外の事務処理(法律行為の事務処理を排除する趣旨ではない。)をする委任契約(本件委任契約)が成立していたと認められる。

2  次に、右委任契約に伴う報酬契約の成否及びその額について検討するに、以下の事実が認められる。

ア 南弁護士が野村グループを相手に損害賠償の請求の訴訟を提起し、その進行中の平成元年、南弁護士を加え、被告代表者小野関と原告との間で、本件ゴルフ場の財産(組合財産)の内、被告分として裁判で金員が得られれば、原告にもその一部が分配され、その割合は、一応のめどとして被告が取得する金員の四パーセントという話も出ていた。また、被告代表者小野関は、右訴訟の控訴審(高裁)で和解の話が進行中の平成元年六月五日に、南弁護士宛に、和解金を最低一六億円とした前提で、「亡鮫島への謝礼は一億円を下らない。」旨の手紙を書いている。さらに右和解の成立の直前の平成元年九月二八日、被告代表者小野関は、「和解案に不満があるので、弁護士報酬を和解金の一〇パーセント、亡鮫島への報酬を和解金の五パーセントに抑えてもらいたい。」旨を南弁護士及び亡鮫島宛にファクシミリで申し入れている。このように、当時、被告は、裁判で金員を取得すれば、亡鮫島にも然るべき報酬を支払おうと考えていた(<書証番号略>)。

イ ところが、被告代表者小野関は、野村グループに本件ゴルフ場建設という共同事業の進め方に契約違反があったとして、右和解金一六億円を損害賠償金名目で取得したいという希望を述べていたが、最終的な和解として、金額が九億円に下がり、かつ、右金員の名目が、損害賠償金ではなく、株式の譲受代金となったことに加えて、南弁護士から弁護士報酬として和解金の二〇パーセント、亡鮫島から報酬として和解金の一〇パーセントをそれぞれ要求されたこと等から、右和解成立時点の前後ころから被告と南弁護士及び亡鮫島との間で利害が対立し、結局現在に至るまで被告との間で南弁護士の弁護士報酬及び亡鮫島の報酬の額について合意が成立していない。そして、右弁護士報酬については現在横浜地裁で係争中である(<書証番号略>、被告代表者)。

以上のア及びイの認定事実並びに前記二で認定の亡鮫島の労務の提供の内容等に照せば、被告、亡鮫島間の本件委任契約には、少なくとも黙示の報酬契約があったと認められる。また、その報酬額については、前記二で認定の亡鮫島の労務の提供内容並びに右アの報酬額の相談の経緯及び右イの報酬額につき合意が成立していない事実等に照らせば、本件委任契約の亡鮫島の報酬額は、控え目に見積り前記和解金九億円の四パーセントに該当する三六〇〇万円が相当であると認められる。

なお、前記争いのない事実のとおり埼玉開発ないし被告が亡鮫島に一〇〇〇万円を支払っているが、右ア及びイの報酬額に関するやりとりは、「右一〇〇〇万円の他に報酬金を幾らとするか」という議論であるので、亡鮫島の報酬は右一〇〇〇万円で支払済みといえないし、また、前記三六〇〇万円から一〇〇〇万円を控除すべきともいえない。

したがって、亡鮫島の報酬の支払は、三六〇〇万円が相当であり、その妻である原告鮫島一枝はその二分の一に相当する一八〇〇万円、亡鮫島の子であるその余の原告五名は各三六〇万円を相続することとなる。

また、贈与を理由とする三次的請求は、亡鮫島の報酬の支払の約束は、前記の委任契約の事務処理の対価としてされたものであり、委任契約の報酬と別に贈与の約束があったとは認められないので理由がない。

五(結論)

以上の次第で、原告らの請求は、組合契約に基づく主位的請求は理由がないので、これらを全部棄却し、委任又は準委任契約に基づく二次的請求は、合計三六〇〇万円の限度で理由があり、その余は理由がないので、これらを棄却する。また、贈与を理由とする三次的請求は理由がないので、全部これらを棄却する。

(裁判官宮﨑公男)

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